2010年7月18日日曜日

陸上自衛隊

    国家警察隊

 おれは横須賀にある陸上部隊の教育団に入隊した。ここで初期教育を受け、各部隊に配属されるのだ。なんでもほとんど北海道にまわされるという噂だった。当時は日ソ間の緊張は極限状態だったのだ。ほとんどいつ攻めてきてもおかしくない危険な状態で、ソ連軍全軍が膨張暴発寸前の状態にあった。

 横須賀にいる間、前半は良かったが後半から捻挫はするわ、風邪は引くわで最低の体調不良だった。かぜは富士山以来の悪性で一ヶ月以上治る見込みがなかった。まるで何者かに祟られているような……。




横須賀――富士演習――虫が

 最後の仕上げということで演習を実施することになり、我々は富士演習場へとむかった。
 乗り心地の悪いトラックから開放され、演習場につくとさっそく野営地を設営する。
 トラックを降りて資材を下ろしたり自分のテントを張る準備をしていると、また、どこからともなくあの虫がやってきた。
 新隊員たちがありんこのように働く様をなんとなく見ていると、遠くのほうからまっしぐらにやってくる一匹の虫が見えたのだ。ちいさいはずなのに不思議とはっきり見える。
 そしてやっぱり僕の顔のまん前でブンブン飛び回った。嬉しくてうれしくて仕方ないように、また虫なのにまるで僕になついているようになかなか離れない。
 しかし、あまり間近なのでいやな顔をすると、それを察したようにサッと飛び去っていった。
 単なる虫なのか――ミツバチのようにも見えるが――いやそれにしてもいつも富士山に関わるところで現れる。まったく不思議だった。


   習志野へ

 おれは晴れて空挺隊員候補生ということで、習志野に向かうことになった。まだ厳しい選抜が待っており、空挺徽章をもらうまでは空挺隊員とはいえない。それでさえ五回降下しないともらえないという厳しいものだ。
 習志野までは電車で行ったが、どこをどういったのか覚えていない。京成電鉄の駅に着いたのだろう。着くと一台のカーゴ(2トントラック)が待っていた。
 トラックに乗った瞬間、いよいよ実戦部隊に配属されたなと思った。
 しばらく走り駐屯地の営門をくぐった。空挺の松林を抜けて営舎に到着すると、待っていたのは俊敏そうな細身の軍曹……いや陸曹だった。
 まさしく軍曹に見えた。鼻の下に立派な髭をたくわえていたのだ。


 ――今枝二士、今枝二士、至急事務室まで――
 急ごうが急ぐまいが至急である。
「おお、今枝ーー、お前神主だったってな~~。いっちょお払いしてくれよ。」
 マイクで呼ばれたので何のことかと思ったら、いきなり言われた。
 アメリカにも従軍牧師というのもいるから、日本に従軍神主がいてもおかしくないのではないか――おれはそう思った。
「はい、出来ます。」おれは即座に答えた。
「よし、じゃあ早速取り掛かってくれ。明日から頼むぞ。」

 翌日、訓練板(ボード)には〈今枝二士――お払いの準備?〉とあった。なにか複雑な気持ちがした。
 まず、榊を探さなければならない。私のために運転手が一人つき、陸曹の指揮官までついた。運転手は部屋の先輩で、陸曹も仲のいい人だった。
「いけ~~行け~~」陸曹はめちゃくちゃな人で、道なき道を僕の求める榊めざしてどこへでも入っていった。
「山中三曹~~いいんですか!!」運転手はハンドルを操りつつ、目をひん剥きながら叫んだ。
「いいんじゃ! おれは訓練のためなら手段は選ばん。訓練優先じゃあ!!」
「そうりゃ行かんかあ~~!」高知弁は出ないが高知の山間部の人だった。高知市内と山間部はまたちがうのかもしれない。
「おれはなあ山内容堂のほうではないんだな。敵方の長宗我部のほうなんだなあ……」
と、意味ありげな話し方をした。
 そう――高知にも知られざる歴史がある。
 戦国時代、四国をほぼ支配下に置いた土佐の長宗我部氏は、いよいよ中央進出だという矢先に秀吉・家康と先手を取られてしまった。まったくいいことはなかった。そして、西軍に組したために廃絶となり、土佐には山内一豊が入ってくることとなったのだ。
 山中三曹はその無念の長宗我部氏系の家系なのだ。高知のやつらとは合わないという思いが昔からあるのだろう。相手は徳川なのだ。
 運転手は高橋といい長野出身だった。先輩だが頼めば何でもやってくれそうだった。
 

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