「鱒屋」
「鱒屋」という焼き鳥屋があった。神社にいる間よく行った店だ。
昔からある老舗で名前のとおり、昔は鱒を焼いて出していたのだろうか。
なぜ、この店に行くようになったがはっきり覚えていないが、もともとビールが好きなので、夏の暑い日に生ビールを飲みに行ったのが始まりだろう。
その女に始めてであったのはどんな経緯だっただろうか。
なんとなく気になったので行ってみると、なかなか可愛らしい少女がいた。
名前を聞いてみると「那須」姓だという。このあたりでは珍しい名前なので、きっと出はあの那須高原の那須なのだろう。初対面であまり踏み入った話も出来なかった。
那須といえば日本ひろしといえどもあの「那須与一」しかないだろう。
那須与一は源義経とかかわりが深く、源平合戦のおり、屋島の戦いで船に乗った平家の女官のかざす扇を射抜いたことで有名な弓の名手だ。
那須という苗字はなかなかないので、この女も何がしかの縁があるのではないだろうか?
ところが彼女はその後とんでもないことになってしまう。
その夜も何とか話すきっかけを作ろうとしながら気持ちよく飲んでいた。
そう焦ることではない、この分ならば案外いけるのかな、と思った。彼女はあくまで陽気で笑顔を振りまいていた。
つぎの朝だった。巫女さんが「〈鱒屋〉の車が事故ったらしいよ。例の彼女大丈夫?」
一瞬僕は顔面蒼白になった。「えっ……」
〈まさか……。そんなことないよね……?〉
急いで新聞を見ると、地方紙だがけっこう大きめに取り上げられていた。
「昨夜夜半、芙蓉市……鱒屋店長○○従業員○○が○交差点に……」
あらまししかわからなかったが、深夜にお店を閉めてから彼女を家まで送り届ける途中に事故にあったらしい。
しばらくは口も利けず、一日陰鬱だった。
なんでこうなるのだろう。
「舞姫」
僕はもう国家警察隊にはいる決心をしていた。傭兵になるつもりだった。外人部隊……いやその前に国家警察隊に入って銃の撃ち方くらいは身につけておこうと思った。
半年たった四月にやめようと思っていたので、十月の例大祭は最後となるだろう。
この例祭で浦安の舞が奉納される。その舞姫を勤めることになった4人のうちの一人がお人形さんのようなきれいな子で、僕は知らず知らすのうちに夢中でシャッターを切っていた。彼女たちの思い出になるようにと、写真は欠かせなかった。
他の三人は一枚だけなのに彼女だけは十枚以上あった。これでは〈なにをか言わん〉というしかあるまい。しかしそうするしかなかった。いや、かってに指が動いていたというほかなかった。被写体として最高だった。
年が明けて、彼女からも思わせぶりな返事が来たし、迷っていたのだが、ついに意を決して手紙を書いた。
朝、祭儀課の自分の机の上に置き、仕事の準備で目を放した隙に、手紙が消えていた。
いくら探してもなかった。仕方なくあきらめた。
そして退職直前になって身の回りの整理をしていたときに、机の隙間からそのほこりをかぶった手紙が出てきたのだった。もう数日で神社をやめる。もう時間はまったくなかった。
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