2010年7月25日日曜日

富士山奉職

 私は富士本宮へ勤務することとなり、古くより富士山麓に鎮座するお宮に初出勤した。

 車窓から神々しい富士山の姿が見えた。
 初出勤でいよいよこの神社でご奉仕するのかと緊張の面持ちの私を、富士山は微笑んで出迎えてくれているような気がした。
 もちろん初めてではないが、心表れるような富士山の姿を見て、緊張の糸が一本また一本と切れていくのを感じた。

 たぶんこのときも咲夜姫は私を見て、満面の笑みを浮かべて手を振っていたのだろうとおもう。


 一通り職員さんたちに挨拶を交わし、いよいよ辞令を受けることになった。 
 私のほかに新卒の巫女さんの卵、三人がいた。三人ともなかなかかわいかったし、美人でもあった。
 山田、高橋、渡辺の三人だった。
 その後、この三人をめぐって、心切なくも激しい恋愛ゲームを繰り広げることになる。 

 私は祭儀課勤務となり、あとからやってきた大学出の二人は庶務課となった。
 祭儀課は神社の中ではいわば花形であり、一番重要なところに配属されたのだ。
 仕事は祭儀一切を取り仕切ることになる。年中行事のお祭りの準備から始まって、地鎮祭、結婚式、人型(人の形にきった紙に自分の穢れを込め、お焚き上げをする)の配布、年末のお札の配布など、多岐に渡るものだった。
 上司は大阪出身の赤松さんで――この神社は夏季富士山登頂があり山男が多く――豪快な山男風だった。
 赤松さんからおおせつかった私の祭儀課での役割は、紙垂(をきる)、祝詞(を書く)、榊(をきる)だった。
 紙垂というのは和紙をギザギザに切った、お祭りや神社でよく見るあれである。お払いでバサッバサッとやるあれもお払い用の紙垂であり、お祭りや日々のご祈祷・地鎮祭などにも多用され、消耗度と需要が高いので毎日切るのが私の日課となった。たまにサボっていると、「今枝さん、紙垂切ってよ」と巫女さんにせっつかれた。いやはや大変だった。紙職人になった心境だった。
 祝詞もご祈祷用に用意された雛形のものを毎日毎日せっせと書くのだが、一本でも書くのに最初のころは数時間かかり、慣れてきても一時間はかかった。一本作っても一ヶ月もすればボロボロになり、また巫女さんに
「祝詞ボロボロだよ」と、また巫女さんにせっつかれた。
 榊(さかき)は玉串に使われる。
 玉串というのは、榊の枝から二等辺三角形になる形のいいのを選んで切ってきて、紙垂をつけたものである。
(植木屋さんが使う枝打ち用の長いはさみを使う) 
 上古より使われ、神様への捧げものとして、自分の願いや感謝の念を持って、お祭りやご祈祷の際に捧げるものである。もともとは絹や織り布、海産物など日常採れた最高のものを直接つけて捧げられたという。
 水につけて持たせておくのだが、これもまた一ヶ月もすればしなびてきて、
「今枝さん、榊の葉が取れてきたよ。そろそろ採ってきてよ」とせっつかれた。
 いやはや大変な仕事だった。庶務の二人組みはひまそうにしているのに……。


 課長はだるまさんのような貫禄のある人で、静岡県の神社庁長でもあった。
ふだんは忙しく、神社庁関係の仕事や会議、また、自分の神社も持っているので、あちらこちらと顔を出し、こちらにはたまに顔を見せる程度だった。
宮司さんはなんと九州の人でかなりの高齢だったが、かくしゃくとしていて頭はさえており、何よりも厳格で厳しい人だった。
 権宮司はちっちゃめのせかせかした人だったが、いつもニコニコしていて朗らかな温かみがあった。
 宮司・権宮司とも神宮出身であり、そこからこのお宮に来たということだった。
 学歴は大学出に負けるが、祭儀課という晴れある職場に勤務できたのも、この二人の後押しがあったように後々聞いた。
 

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